無料体験講座のお知らせ
こんにちは!
梅雨のようなお天気が続いていますね。
そんな6月最初の日にお知らせです。この度、初めて「心理カウンセリング力(りょく)養成基礎講座」をオンラインで開講することになりました!
西坂ゆみとメンタルサポート研究所グループで一緒に学んできた橋本まゆみさんと一緒に開催します。つきましては無料体験講座をzoomで開催します。
日程は下記の通りです。
●7月9日(日)19時~
●7月25日(火)13時〜
●8月6日(日)19時~
※同じ内容で3回開催です。
心理学に興味がある方
カウンセリングに興味がある方
お仕事に心理をのこと役立てたい方
子育てや家族のために心理を知りたい方
自分自身の心のことを知りたい方などなど
無料体験講座はどなたでも参加できます!
本講座自体の受講を考えてなくても大丈夫!
体験講座では実際にカウンセリングを見ることができます!
少しでも興味がある方はぜひぜひ気軽にのぞきにきてください♪
詳細とお申込みは下記まで!
https://www.cocoronoiro.net/cocorotoiro/
よろしくお願いいたします!心と身体の健康を考える
今年の目標は、心も身体も健康に!
と思って過ごしてあっという間に今年の前半が終わろうとしています。
実は去年は本当に病気ばかりしていました。
最初は帯状疱疹。
そのあと、帯状疱疹の神経痛にしばらく悩まされて、ようやく落ち着いてきたと思ったらコロナに感染。
散々だったね、と周囲にもドクターにも言われた年末でした。
我ながらそう思います。
私たちの心は身体と繋がっています。
私が学ぶカウンセリングの理論のベース「交流分析」には「禁止令」と言われるものがあります。
禁止令は、多くは幼少期の何かしらの体験によって自分がより愛されるように「決断」します。小さな子どもにとって「愛されるように」ということは「生命を守ること」です。小さな子どもは両親や養育者に、もし愛されなかったら、自分で生きていくことができません。
自分を守るために「決断」してきたことなんです。
禁止令の中に「健康であるな」というものがあります。
この禁止令は、例えば子どもの頃、忙しい両親が病気になったときだけそばにいて優しくしてくれた体験などから「決断」する、と言われています。
決断の場面は、他にもあるのですが典型的なエピソードの1つです。
決断といっても自分で「こうしよう!」と意識してされたものではありません。無意識で言語化されていないものです。
その無意識で自分を健康でない状態にしているのです。
自分を大切にできないので、例えば健康診断での再検査を受けなかったり、逆にいつも何か病気になっていて、しょっちゅう病院に通っている、などということがおきます。
いつも疲れるまで何かをしていたり、疲れに気づかないまま疲弊して倒れたり、ということもあります。
「健康であるな」の禁止令メッセージは「病気の時にかまってもらえる」という背景から「元気な自分は愛されない・価値がない」というものになったり「誰にも大切にされない自分は大切な存在ではない」という感覚が無意識にあります。
ずっとそう感じているので、自分ではそれが当たり前すぎで気づくことはとてもむずかしいです。
ここからは私の事例です。
私は幼いころはほぼ祖母に育ててもらいました。
自営業で共働きの両親にはかまってもらった記憶はあまりありません。
姉に喘息があり、夜中に病院へ行くことがありました。夜中の救急病院へは車で行くので、免許をもたない祖母は両親を起こしに行っていました。その時だけは何時間も両親と一緒にいられるのです。
私はそれを何度も見ていました。
私も夜中に発熱したり、胃痛で病院へ行くことが多かったので同じようにしてもらってきました。
その時だけは、両親が一緒に寝てくれたり、薬を飲ませてくれたり、抱っこして車に乗せてくれたりしていました。
両親に大切にされていない、と思ったことはありません。むしろ、育てるために懸命に働いてくれていたのだと知っています。
それでも、幼い頃の私はかまって欲しかったし、元気だと安心して放おって置かれるので寂しい気持ちはあったのだと思います。
私には「健康であるな」の禁止令決断があります。
健康だと放おっておかれます。
病気だと心配してわかりやすく愛情を示してもらえます。
自分を大切しなければ、誰かが変わりに大切にしてくれました。
以前にこのテーマでカウンセリングを受けているので、どんな風に決断したのかはよく理解しているので、今では休むことや無理をしないことをかなり意識しています。それでも、ついついやってしまいます。
カウンセラーなのにカウンセリング?と思われるかもしれませんが、カウンセラーだからこそなんです。
カウンセリングは心の病気や心が弱い人が受けるものという思い込みがまだまだありますが、ちょっとしたことで利用してもらっていいんです。
興味がある方はぜひ!ちょっとお話聞いて欲しい、でもOKです!無料カウンセリング体験…1回 30分などご利用ください。
お申し込みはお問い合わせからどうぞ!年末はできたことを数える
ブログに更新はかなりお久しぶりです。
気づいたらもう年の瀬!今年もあと数日ですね。
私は年賀状の準備が全然できてないので焦っています;
今年の最後に2つのYou Tubeライブ配信で振り返りをして「自分を褒める」というお話をしました。
アーカイブでもご覧になれますのでお時間がある方ぜひ♪
「にじいろ茶話室」
「カウンセラーと話そう」
普段は毎日の生活に追われていることが多いのではないでしょうか?仕事のこと、お家のこと、家族のこと、、、「やるべきこと」に目がいきがちです。もちろん、それがいけないことと言う訳ではありません。
ただ「やるべきこと」に目を向けていると「自分を褒める」ことが難しくなってきます。
「当たり前のことだから褒めるようなことではない」
「私だけががんばってるわけじゃない」
そんな風に考えてると、自分を褒めることはとってもハードルが高いです。
だからこそ、年末は今年を振り返って、できなかったことではなくて「できたこと」を数えてみませんか?ただ実際に「できたこと」を数えるんです。特に褒める必要はありません。
ポイントは「完璧にできた」とかではなく「事実」というところ。
「今年の仕事が終わった」
「健康に過ごせた」
「目標の1つが達成できた」
「掃除をした」
「元気に過ごせた」
「○○まで、できた」
今年のことでも、今日のことでもなんでもOKです。
できなかったこと、ではなく、できたことを数えること。
「でも」は禁止ですよ。
100%できる必要はありません。
完璧である必要はありません。
いくつか数えたら、誰かと比べたり、内容を批評したりしないで
「できた」をしっかり自分で理解して「できたなぁ」と感じてみてください。
今年もありがとうございました。
みなさま、良いお年をお迎えください。「褒められた時」どう反応していますか?
お久しぶりです。みなさんいかがお過ごしでしょうか?
ご無沙汰しております。気づいたらもう秋です!
二度目の金木犀も終わりそうです。今日は心のお話をしたいと思います。
みなさんは「褒められた時」どうしていますか?
もしかすると、褒められてもなかなか「そうだよね!」とは受け入れることは難しいと感じていませんか?
私自身がそうだったのでよく理解できます。「褒められた時」あなたの心はどう反応していますか?
「いやいや私なんて」
「お世辞だよね〜」
「褒めてくれるけどホントはどう思ってるのかな?」
もし、心がこんな反応をしていたら、せっかく褒め言葉をもらっても、実は受け取れてません。
心の事を学ぶ前の私はそうでした。
照れくさいとか、謙遜とかではなく本当に受け取れなかったんです。
褒められて嬉しいのは嬉しいですけど、それよりも先に気を使わせてしまったな〜という奇妙な罪悪感もありました。では、最近の私はどうなったでしょうか?
今はすんなり受け取れます。
本当に「うれしい!ありがとう!」とそのまま素直に喜びます。私たちの心は、実は慣れないものは受け取ることが苦手なんです。
私は子どもの頃は「●●ができたら」とか「●●だから」と何にでも条件がついた言葉ばかりで、あまり褒められた記憶はありません。
だから褒められるのはとても苦手。
それに「褒められて調子に乗ったら努力しなくなりそう、だからそのまま受け取らない」と思っていました。でもね、私たちの心には栄養が必要です。
心にとっての栄養は、褒められることや受け入れてもらえること、愛情表現などです。
でも残念なことに、自分で受け取らないと心の栄養にはならないんです。
謙遜せずに、そのまま受け取りたい!
もしそう思ったら、心の中を覗いてみてください。
褒められたとき、私は何を考え、何を感じているのか?
どうして「受け取らない」と決めているのか?
もし受け取ったらどうなるのか?
自分で自分の気持や想いを十分に理解することで、私たちの心は満たされることがあります。
まずは気づくことからです。
それでは、おやすみなさい。「ガマンできないくらい嫌いなこと」には理由がある
ガマンできないくらい嫌いなことってありますか?
先日「こころもりの時間」で話したので、ブログでもアップしてみますね。
数年前の話ですが、ニュースで飛行機の中で赤ちゃんの泣き声に耐えられず「降ろして!」と大騒ぎした方がいらしゃいました。
その方は「赤ちゃんだから何でも許されるというわけではない」と主張され、航空会社にクレームをつけたそうです。
ニュースを聞いたとき、私は飛行機での赤ちゃんの泣き声はあまり気にならないので「極端だな~」「赤ちゃんの泣き声の何が嫌なんだろう?」と思っていましたが、当時、友人がシェアしていた記事で「なぜ赤ちゃんの泣き声に耐えられないのか?」という内容がありました。
その記事の中では「耐えられない理由」を自分で探っていました。数年前のことなので、私の記憶で少し変わってるかもしれませんが内容はこんな感じでした。
赤ちゃんの泣き声を聞くと、もやもやとした怒りのような気持ちが湧いてきて、耐えられないくらいになって「聞きたくない!」「なんで泣くの!」と怒鳴りたいような気持ちになる。他の人は平気なのに、私はどうしてこんなに耐えれないくらい嫌いなんだろ?と考えてみたそうです。
ふっと思い出しのは、親に泣くことを許されなかった子供の頃のことだったそうです。赤ちゃんの泣き声を聞くと「私は泣きたいのをこんなに我慢したのに」「どうして許されて泣いているの?」「私は許されなかったのに、どうして?」こんな風に思っていたことに気づいたそうです。
きっとこの記事を書いた方は、赤ちゃんの泣き声を聞くと「泣くことを許されず、我慢した過去の自分」に戻ってしまうのでしょうね。それを聞くと「あぁ、それはつらかっただろうなぁ。」と思いました。
赤ちゃんの泣き声だけに焦点をあてると「自分だって赤ちゃんだった時代があるのだから許してあげてよ」と思ってしまいます。
でも「ガマンできないくらい嫌いなこと」が「赤ちゃんの泣き声」ではなかったらどうでしょう?自分でも気づいていなくても、理由はあります。
そんな風に心のことを考えたり、知ったりする時間のために「こころもりの時間」というライブ配信をやっています。次回は11月23日20時〜です。今回のテーマは『(後編)周囲に振り回されないこころ』です。お時間がある方はぜひ!
【11/23(月・祝)20時~ライブ配信!|ここころもりの時間 ~for your Well-being heart~】 毎月2回、Facebookライブ配信で開催しています「こころもりの時間~for your Well-being…
ユウアヒア(you are here)さんの投稿 2020年11月19日木曜日あなたの「愛情表現」伝わっていますか?
こんにちは。
先日「こころもりの時間」で、親密な関係性におけるこころの動きのお話をしたので、せっかくなのでパートナーとの愛情表現の違いにつてのお話を書きたいと思います。数年前のことなのですが「パートナーが熱を出した時、どうする?」という話題がTwitterで議論なっていました。当時、面白いな〜と思って書いていたことを抜粋しています。
「俺は妻めっちゃ大事にしてるよ!この前も熱出して寝込んだ時に『ご飯は適当に外で食べてくるから心配するな』って言って子ども連れて1日外出てたし!」って得意げに職場の人が話してたけど、聞いてる側は褒める人と、ドン引きする人がいた
Twitterより一部抜粋人によってリアクションに大きな違いがあった、と書かれています。
賛成派意見
・子供連れてでるだけ、なんぼかまし。
・ゆっくり寝かせてあげているので賛成!
・具合が悪い時は、そっとしておいて欲しい
・とにかく寝ていたいので有難い反対派意見
・放置しただけ
・看病する姿勢がないのは問題
・妻のご飯は?さて、これって何が起きてると思いますか?
私たちは、それぞれ好みの「コミュニケーション方法」が違います。愛情表現もコミュニケーションなので「愛情表現」や「愛情の感じ方」だってそれぞれ違います。ですが、私たちは無意識のうちに自分の「好みのコミュニケーション」が「普通」と思いがちで、違うコミュニケーション方法でアクセスされると「嫌がらせ?」「感じ悪い」「嫌わている」と感じてしまうほどなんですね。
ということは「どちらが正解」というわけではないと思います。もし妻が「ゆっくり静かに寝たい」方だったら、夫が取った行動はとてもうれしいでしょう。ですが結果はちがったようです。後日談として書かれていました。
昨日みんなに言われて妻に謝ったんですよ…。『みんなにそこまで言われないと分からないのか』って呆れられました…。『あんたにはもう何も望まないって決めたからもういいよ』って…俺の何が悪かったんですかね…」ってションボリしながら今日出社してきた
Twitterより一部抜粋どうやら妻が「愛されている」と感じる「愛情表現」は、優しく看病されて、そばにいてくれることだったようですね。
では、みなさんはどうでしょうか?自分が「愛情表現」だと思っていることと、相手が「愛情表現だ」と感じることが違うかも?と考えたことありますか?「どうしてこんなにすれ違うのかな?こんなに大好きなのに!」と感じたときは、ちょっとだけ立ち止まってください。
あなたの愛情表現は相手に本当に愛情として伝わっていますか?
あなたは相手の愛情表現を愛情として受け取れていますか?そう考えると、この話題になった夫だって妻を愛していないのではありません。勝手に思い込まず、「どうしてほしいのか教えてくれる?」と聞いていればよかったかもしれません。妻も「普通分かるだろう」「普通そうだろ」と思わずに「一緒にいてくれた方がうれしい」と伝えられたら違うのではないかな?と私は思います。
愛し方、愛され方、人によって違いがあっても相手を想う気持ちは同じなんですね。すれ違ってしまうことで、こじれていくことだってあるんです。でも、違いを知ることで「あれ?これって愛情表現だったの?」と気づくことだってあると思います。
ということで、お知らせです。
次回の「こころもりの時間」は『親密な関係性におけるこころの動き〜後編〜』です。連休最終日の9月22日にFacebookライブ配信を行いますので、お時間があればぜひ!お時間がない方は「ユウアヒア」さんのYouTubeチャンネルにアーカイブがありますので、お好きな時にご視聴ください。