「ガマンできないくらい嫌いなこと」には理由がある
ガマンできないくらい嫌いなことってありますか?
先日「こころもりの時間」で話したので、ブログでもアップしてみますね。
数年前の話ですが、ニュースで飛行機の中で赤ちゃんの泣き声に耐えられず「降ろして!」と大騒ぎした方がいらしゃいました。
その方は「赤ちゃんだから何でも許されるというわけではない」と主張され、航空会社にクレームをつけたそうです。
ニュースを聞いたとき、私は飛行機での赤ちゃんの泣き声はあまり気にならないので「極端だな~」「赤ちゃんの泣き声の何が嫌なんだろう?」と思っていましたが、当時、友人がシェアしていた記事で「なぜ赤ちゃんの泣き声に耐えられないのか?」という内容がありました。
その記事の中では「耐えられない理由」を自分で探っていました。数年前のことなので、私の記憶で少し変わってるかもしれませんが内容はこんな感じでした。
赤ちゃんの泣き声を聞くと、もやもやとした怒りのような気持ちが湧いてきて、耐えられないくらいになって「聞きたくない!」「なんで泣くの!」と怒鳴りたいような気持ちになる。他の人は平気なのに、私はどうしてこんなに耐えれないくらい嫌いなんだろ?と考えてみたそうです。
ふっと思い出しのは、親に泣くことを許されなかった子供の頃のことだったそうです。赤ちゃんの泣き声を聞くと「私は泣きたいのをこんなに我慢したのに」「どうして許されて泣いているの?」「私は許されなかったのに、どうして?」こんな風に思っていたことに気づいたそうです。
きっとこの記事を書いた方は、赤ちゃんの泣き声を聞くと「泣くことを許されず、我慢した過去の自分」に戻ってしまうのでしょうね。それを聞くと「あぁ、それはつらかっただろうなぁ。」と思いました。
赤ちゃんの泣き声だけに焦点をあてると「自分だって赤ちゃんだった時代があるのだから許してあげてよ」と思ってしまいます。
でも「ガマンできないくらい嫌いなこと」が「赤ちゃんの泣き声」ではなかったらどうでしょう?自分でも気づいていなくても、理由はあります。
そんな風に心のことを考えたり、知ったりする時間のために「こころもりの時間」というライブ配信をやっています。次回は11月23日20時〜です。今回のテーマは『(後編)周囲に振り回されないこころ』です。お時間がある方はぜひ!
【11/23(月・祝)20時~ライブ配信!|ここころもりの時間 ~for your Well-being heart~】 毎月2回、Facebookライブ配信で開催しています「こころもりの時間~for your Well-being…
ユウアヒア(you are here)さんの投稿 2020年11月19日木曜日あなたの「愛情表現」伝わっていますか?
こんにちは。
先日「こころもりの時間」で、親密な関係性におけるこころの動きのお話をしたので、せっかくなのでパートナーとの愛情表現の違いにつてのお話を書きたいと思います。数年前のことなのですが「パートナーが熱を出した時、どうする?」という話題がTwitterで議論なっていました。当時、面白いな〜と思って書いていたことを抜粋しています。
「俺は妻めっちゃ大事にしてるよ!この前も熱出して寝込んだ時に『ご飯は適当に外で食べてくるから心配するな』って言って子ども連れて1日外出てたし!」って得意げに職場の人が話してたけど、聞いてる側は褒める人と、ドン引きする人がいた
Twitterより一部抜粋人によってリアクションに大きな違いがあった、と書かれています。
賛成派意見
・子供連れてでるだけ、なんぼかまし。
・ゆっくり寝かせてあげているので賛成!
・具合が悪い時は、そっとしておいて欲しい
・とにかく寝ていたいので有難い反対派意見
・放置しただけ
・看病する姿勢がないのは問題
・妻のご飯は?さて、これって何が起きてると思いますか?
私たちは、それぞれ好みの「コミュニケーション方法」が違います。愛情表現もコミュニケーションなので「愛情表現」や「愛情の感じ方」だってそれぞれ違います。ですが、私たちは無意識のうちに自分の「好みのコミュニケーション」が「普通」と思いがちで、違うコミュニケーション方法でアクセスされると「嫌がらせ?」「感じ悪い」「嫌わている」と感じてしまうほどなんですね。
ということは「どちらが正解」というわけではないと思います。もし妻が「ゆっくり静かに寝たい」方だったら、夫が取った行動はとてもうれしいでしょう。ですが結果はちがったようです。後日談として書かれていました。
昨日みんなに言われて妻に謝ったんですよ…。『みんなにそこまで言われないと分からないのか』って呆れられました…。『あんたにはもう何も望まないって決めたからもういいよ』って…俺の何が悪かったんですかね…」ってションボリしながら今日出社してきた
Twitterより一部抜粋どうやら妻が「愛されている」と感じる「愛情表現」は、優しく看病されて、そばにいてくれることだったようですね。
では、みなさんはどうでしょうか?自分が「愛情表現」だと思っていることと、相手が「愛情表現だ」と感じることが違うかも?と考えたことありますか?「どうしてこんなにすれ違うのかな?こんなに大好きなのに!」と感じたときは、ちょっとだけ立ち止まってください。
あなたの愛情表現は相手に本当に愛情として伝わっていますか?
あなたは相手の愛情表現を愛情として受け取れていますか?そう考えると、この話題になった夫だって妻を愛していないのではありません。勝手に思い込まず、「どうしてほしいのか教えてくれる?」と聞いていればよかったかもしれません。妻も「普通分かるだろう」「普通そうだろ」と思わずに「一緒にいてくれた方がうれしい」と伝えられたら違うのではないかな?と私は思います。
愛し方、愛され方、人によって違いがあっても相手を想う気持ちは同じなんですね。すれ違ってしまうことで、こじれていくことだってあるんです。でも、違いを知ることで「あれ?これって愛情表現だったの?」と気づくことだってあると思います。
ということで、お知らせです。
次回の「こころもりの時間」は『親密な関係性におけるこころの動き〜後編〜』です。連休最終日の9月22日にFacebookライブ配信を行いますので、お時間があればぜひ!お時間がない方は「ユウアヒア」さんのYouTubeチャンネルにアーカイブがありますので、お好きな時にご視聴ください。