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    心と身体の健康を考える

    今年の目標は、心も身体も健康に!
    と思って過ごしてあっという間に今年の前半が終わろうとしています。

    実は去年は本当に病気ばかりしていました。
    最初は帯状疱疹。
    そのあと、帯状疱疹の神経痛にしばらく悩まされて、ようやく落ち着いてきたと思ったらコロナに感染。
    散々だったね、と周囲にもドクターにも言われた年末でした。
    我ながらそう思います。

    私たちの心は身体と繋がっています。

    私が学ぶカウンセリングの理論のベース「交流分析」には「禁止令」と言われるものがあります。
    禁止令は、多くは幼少期の何かしらの体験によって自分がより愛されるように「決断」します。小さな子どもにとって「愛されるように」ということは「生命を守ること」です。小さな子どもは両親や養育者に、もし愛されなかったら、自分で生きていくことができません。
    自分を守るために「決断」してきたことなんです。

    禁止令の中に「健康であるな」というものがあります。
    この禁止令は、例えば子どもの頃、忙しい両親が病気になったときだけそばにいて優しくしてくれた体験などから「決断」する、と言われています。
    決断の場面は、他にもあるのですが典型的なエピソードの1つです。
    決断といっても自分で「こうしよう!」と意識してされたものではありません。無意識で言語化されていないものです。
    その無意識で自分を健康でない状態にしているのです。
    自分を大切にできないので、例えば健康診断での再検査を受けなかったり、逆にいつも何か病気になっていて、しょっちゅう病院に通っている、などということがおきます。
    いつも疲れるまで何かをしていたり、疲れに気づかないまま疲弊して倒れたり、ということもあります。

    「健康であるな」の禁止令メッセージは「病気の時にかまってもらえる」という背景から「元気な自分は愛されない・価値がない」というものになったり「誰にも大切にされない自分は大切な存在ではない」という感覚が無意識にあります。

    ずっとそう感じているので、自分ではそれが当たり前すぎで気づくことはとてもむずかしいです。

    ここからは私の事例です。

    私は幼いころはほぼ祖母に育ててもらいました。
    自営業で共働きの両親にはかまってもらった記憶はあまりありません。

    姉に喘息があり、夜中に病院へ行くことがありました。夜中の救急病院へは車で行くので、免許をもたない祖母は両親を起こしに行っていました。その時だけは何時間も両親と一緒にいられるのです。
    私はそれを何度も見ていました。
    私も夜中に発熱したり、胃痛で病院へ行くことが多かったので同じようにしてもらってきました。
    その時だけは、両親が一緒に寝てくれたり、薬を飲ませてくれたり、抱っこして車に乗せてくれたりしていました。

    両親に大切にされていない、と思ったことはありません。むしろ、育てるために懸命に働いてくれていたのだと知っています。
    それでも、幼い頃の私はかまって欲しかったし、元気だと安心して放おって置かれるので寂しい気持ちはあったのだと思います。

    私には「健康であるな」の禁止令決断があります。

    健康だと放おっておかれます。
    病気だと心配してわかりやすく愛情を示してもらえます。
    自分を大切しなければ、誰かが変わりに大切にしてくれました。

    以前にこのテーマでカウンセリングを受けているので、どんな風に決断したのかはよく理解しているので、今では休むことや無理をしないことをかなり意識しています。それでも、ついついやってしまいます。

    カウンセラーなのにカウンセリング?と思われるかもしれませんが、カウンセラーだからこそなんです。

    カウンセリングは心の病気や心が弱い人が受けるものという思い込みがまだまだありますが、ちょっとしたことで利用してもらっていいんです。
    興味がある方はぜひ!ちょっとお話聞いて欲しい、でもOKです!

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